第17回 「共有ビジョンを築くディシプリン」!! Briller Academia
第17回 「共有ビジョンを築くディシプリン」!!
何かを大切だと思う行為は個人的なもので、個人の価値観、関心事、大志に根ざしている。共有ビジョンを築くことに熱心に取り組んでいる組織は、個人ビジョンを築くようメンバーを絶えず励ましている。自分自身のビジョンを持っていなければ、誰かのビジョンンに「参加するしかない。その結果、追求であって、決してコミットメントではない。個人として進むべき方向をはっきり意識している人々は、一丸となって「本当に望むもの」を目指す力強い相乗作用を生み出す。
個人ビジョンが結びついた共有ビジョンを生み出すのか。各個人が持っている全体のビジョンは一人一人異なる。大きなビジョンに対する自分なりの見方を持っており、全体像はそれぞれの断片の中にある。当初、個人ビジョンを育んでいるうちは、人は「私のビジョン」と言うかもしれない。共有ビジョンが出来上がるにつれて、それは「私のビジョン」であると同時に「私たちのビジョン」にもなる。
ビジョンに対する姿勢には七段階ある。大半の人が組織の目標や基本原則に関して、形だけの追従、心からの追従の状態にある。「計画」に従い、誠実に貢献しようとする。これに対し、追従しない人や嫌々ながら追従している人は、たいていあくまでも抵抗する。一番厄介なのは、心から服従している状態であり、参画やコミットメントと間違われることがよくある。追従とコミットメントの間には天と地ほどの開きがある。コミットしている人がもたらすエネルギーや情熱、興奮は、心からの追従だとしても、追従しているだけの人には到底生み出せない。コミットしている人は、ゲームのルール通りのプレーはしない。ゲームに責任はもつが、ルールがビジョン達成の障害になるなら、ルールを変える方法を見つけ出す。共通のビジョンに真にコミットする人々の集団は、恐ろしいほどの力を発揮する。心からの追従と参画やコミットメントの違いは、ビジョンを心底望むかどうかである。一丸となってビジョンにコミットする姿勢は、中々達成できない目標である。 戻る
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